2014年01月

Img206_2  1954年(昭和29年)の東洋経済新報の裏表紙の広告にあった日野のトレーラーバス。絵で見る限り、かなり大きなもののようです。


 調べてみたところ、これは日野T11B+T25型トレーラーバスというものらしく、まず昭和21年(1946年)に第二次世界戦争中に製造していた装甲兵車のエンジンを利用し、トレーラートラックを生産し、それを元に翌年にトレーラーバスを生産したものらしい。全長13.8M、乗員96名となっている。現在でも非公開ながら日野自動車に保存されているらしい。

 
 当時は、結構需要があったらしく、路線バスや観光路線でも活躍し、昭和25年(1950年)まで生産されたらしい。  さて、このトレーラーバスが実際に活躍している画像が、研究室の資料の中にありました。

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 これは第二次世界大戦直後の大阪の観光絵葉書。御堂筋を紹介している絵葉書に、トレーラーバスが写り込んでいる。拡大してみると、そこに写っている人物との対比から見て、かなりの大きさだったことがわかる。
 
 ちなみに昭和24年(1949)4月25日からGHQの指令に基づき大蔵省告示第237号が公布され、1ドル=360円の単一為替レートが実施された。それまでは連合国軍総司令部(GHQ)の管理下で再開された外国貿易は、品目ごとに別々にレートが設定されたものが、単一為替レートが実施されることで、中小企業を中心に輸出に大きな影響が出ると議論になっていた。このトレーラーバスの広告が掲載されている東洋経済新報の特集は、この360円為替レートに関するものである。

 しかし、そこに掲載された一文を読むと、現在でもそのまま使えそうな内容で、中小企業を研究している者からすると、なんだかちょっと複雑な気分にさせられる。

 『「中小商工業は良質とサービスを本位に・・・・強みを生かせ・・・中小商工業の前途はすこぶる暗く、大半は死滅するように受け取られるかもしれない。しかし、中小企業は決してそんな運命を持っているわけではない。元々、我が国の中小企業は、他の中小企業に見られぬ長所を持っている。ほかでもなく、家内労力を極めて有効に使いうる点である。多くの雑品輸出が台頭したのは、このような長所を示すところである。商業でも専門店には百貨店に劣らぬ成績を上げているところもまれではないが、それやはり小規模の強みを示すところである。この長所を生かすことに努めるなら、発展の道は残されている。このような強みがあることを中小業者は深く考えなおすことが、まず大切である。』 (昭和24年(1949年)5月 東洋経済新報別冊より)

 

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  2013年8月20日の午後、山形市内で、山形県商工労働観光部主催の「やまがた中小企業元気再生シンポジウム」が開催されました。定員を上回り200名近い方のご出席をいただき、ホテルメトロポリタン山形の会場は満席でした。
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  当日の進行は以下の通りでしたが、株式会社フルハートジャパン代表取締役 國廣愛彦氏も、株式会社ドンドンアップ 代表取締役 岡本昭史氏も、始まるまでは「緊張した。こういうのは慣れないので、うまく話せない」とおっしゃっていたのですが、非常にお話もうまく、楽しい雰囲気に参加者の方からは、時々笑い声も起き、会場は終始、和やかな空気に包まれていました。
 私は、ちょうど10年間、山形県と関わらせていただいてきた体験と感じていることなど、また長井市の長井商工会議所で取り組ませていただいている地域活性化のお話なども盛り込みながら、お話をさせていただきました。
 
 その雰囲気のまま、トークセッションの入らせていただき、コーディネーターをさせていただいたのですが、非常に私自身も楽しく、お二人のお話がとても参考になることばかりでした。

 地方の経済状況は、人口減少や高齢化など厳しい問題が山積ですが、新しいアイデアとやる気と、そして楽しさを持った経営者がその状況を大きく変えていけるのだと認識を新たにしたシンポジウムでした。

 トークセッションの模様はこちらから(クリックすると拡大表示されます。)↓↓
 

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プログラム

  (1)行政説明 「山形県中小・小規模企業支援戦略」及び各種支援施策について
              山形県商工労働観光部 

  (2)基調講演  「中小企業の強みと可能性~山形の経営者への提言~」
              神戸国際大学経済学部 教授 中村智彦

  (3)事例紹介1 「冬季五輪を目指す、モノづくり大田区からの挑戦」
              下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会
           株式会社フルハートジャパン 代表取締役 國廣愛彦 氏

  (4)事例紹介2 「株式会社ドンドンアップ 成長の軌跡と秘訣」
              株式会社ドンドンアップ 代表取締役 岡本昭史 氏

  (5)トークセッション(3名による質疑応答、意見交換)


☆ 参考
       株式会社フルハートジャパン
    株式会社ドンドンアップ

      山形県商工労働観光部

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Img261 2013年12月13日に兵庫県議会「県会政調懇話会」に招かれ、県議会議員の先生方に地域経済の現状と問題点についてお話をさせていただきました。

 日本の製品を海外に積極的に売り込むためには、それにあわせたインフラの整備などを進めていくこと、そのためには各国の先例などを偏った見方ではなく、きちんと悪い面も見て、どのようにしていくかの議論が必要であるとお話させていただきました。また、2013年末でしたので、年内に全国で見てきたあるいは携わってきた事例などを基に地域で行われている活性化事例などのご説明をいたしました。議員の先生方からは、質疑応答とその後にも熱心にご質問等をいただきました。

 画像は、週刊神戸ジャーナル2014年1月6日号より

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Bant 山形県長井市に通うようになって、ちょうど10年が経過した。初めて山形というところに行ってから、あっという間だったが、当時の学生たちが就職し、結婚したという報告が入ってくるようになってきて、やはり10年間という月日を感じずには入られない。
 

 2004年当時、まだインターネットも今ほど普及しておらず、ちょうど勃興期だった。学生たちは動画撮影に大きな機材を背負って(中にはお土産をもらって喜び、機材を取材先に忘れてきた者もいたが)、編集には徹夜をしていた。大学でも研究室のパソコンでは編集ができないため、ITセンターのマシンを借りに行っていたというのも今では嘘のような話だ。
 

 右の画像は学生たちが、実験的にネットショップを立ち上げた時にキャラクターとして登場させた頑固屋。長井商工会議所の梅津毅氏が絵を描くのが得意だと聞き込み、無理やりに書いてもらったものだ。今をして思えば、一昨年から始めた馬のキャラクター「バーニック・ナガイ」の原点がここにあるわけだ。

Yamashinsakura  学生の提案で、山形鉄道でこのようなグッズを作ってもらって販売していただいたこともあった。この画像は学生がデザインし、現在でもJR赤湯駅構内の歩道橋の案内表示として掲出されている。

 学生たちは、長井市の市役所、商工会議所、まちづくりNPO、さらには近年は近隣の川西町の町役場、NPOなどで毎年、数名ずつがインターンシップを体験させていただいてきた。彼らの中には、この山形県の置賜地域を第二の故郷として、卒業後も何かと地域活性化の事業などに参加、協力している者がいる。

 インターンシップは、学生たちが自費で山形まで出かけていきます。現地では、現地のみなさまに最大限甘えさせていただいて滞在させていただいています。なので、毎回、1人、2人程度。小さな小さな、「牛のよだれ」的な事業で続けてきました。大々的に大学が実施するようなものでもなく、どこかから大口の補助金をもらうのでもなく、ちまちまとしたものをずっと10年間続けてきました。負け惜しみもありますが、牛のよだれで、雑草のように小さくても、寒さにも暑さにも負けないように続いてこれたらと思ってきたのがやっと10年間です。

1173646_10151862135314258_141500303 この間、私も国土交通省事業の最上川流域の調査では山形県全域を廻らせていただき、長井市の街路整備事業、(財)民間都市開発推進機構による長井市へのまちづくり基金の誘致などのお手伝い、商工会議所やNPOの事業をお手伝いしてまいりました。また、川西町の事業に関しましても、ご協力させていだけるようになりました。2013年度には、山形県商工労働観光部主催の「やまがた中小企業元気再生シンポジウム」のお手伝いもさせていただきました。

 大きなことはできませんが、これからもこの10年間にお世話になってきた山形のみなさんに少しでもご恩返しができるように、微力ながら努力していく所存でおります。いただいたご縁を大切にしていきたいと11年目を前に決意を新たにしておりますので、みなさま、よろしくお願いいたします。

[E:book] 過去に長井市関係で記事にしたものの一部をご紹介します。

「元気出して行こう。地方。~山形県長井市のロボットプロジェクト」(2005年 石川県中小企業団体中央会会報)

・「小さな街での地域活性化~山形県長井市で」(2012年 石川県中小企業団体中央会会報)

 

576600_566191446786608_427068145__2 昭和14年(1939)の神戸市営路面電車の路線図です。(クリックすると拡大してご覧いただけます。)


 現在の私たちからすると三宮が神戸の中心のような感覚ですが、路線図を見ると湊川や新開地、大倉山を中心に東西に路線が伸びているのがわかります。

 おもしろいのは、電車の運行時間です。冬場は午前5時から午前1時。夏場は午前4時半から午前1時まで。終電の時間が遅いことに驚きます。

 演劇史を研究している方に以前、伺ったことがあるのですが、第二次世界大戦前は結構宵っ張りで、開演が午後9時なんてざらにあったそうです。大阪市内の商家などでは、子供を寝かしつけてからお手伝いさんに任せて、夫婦で観劇なんていうのが普通にあったようだと話しておられました。そして、当然ながら終わるのは深夜になるのですが、当時の交通機関は結構、遅くまで動いていたのです。

 神戸市の路面電車も、午前1時の終電を逃しても、動き出すのは4時半。「3時間ちょっとやし、どこぞで飲んで待ってるか」なんてことだったのでしょうか。

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