2010年01月

  100111025601新春ということで、ちょっとおもしろいものを・・・・・・・

 正月に、30歳代の後輩と話をしていたら、前の大阪駅舎を知らないということ。昭和は遠くなりにけりです。

 さて、古いものをひっくり返していたら、右のような懐かしいスタンプノートが出てきました。「国鉄監修」[E:sign03] そして、[E:fullmoon]いい日旅立ち[E:shine]です。

 このスタンプノートは、昭和55年(1980年)に私がスタンプを集めていたものです。

 現在の大阪駅は、昭和54年(1979年)に北口に駅ビルが、そして昭和58年(1983年)にアクティ大阪駅ビルが完成した四代目駅舎になります。(現在、大阪駅は大幅な増築、再開発工事が進展中です。)

 さて、「前の大阪駅舎」すなわち三代目の駅は、こんな感じでした。こちらは、おそらく昭和30年代だと思うのですが、ステーションパーラーのマッチ箱からです。100111032048

 この駅は不運な運命をたどりました。当初は、総5階建てで、3階から上はホテルにするという計画だったのです。ところが、1937年(昭和12年)に着工。1940年(昭和15年)には、2階までが完成し仮使用が開始。ところが、翌年1941(昭和16年)に真珠湾攻撃により、第二次世界大戦開戦。工事は中断し、中央部だけが5階だけで、両サイドは3階で工事が中止となったのです。

 さて、私がノコノコとスタンプを押して、写真を撮りに行った記憶がある1983年(昭和55年)。予備校生だった私は、おそらく新聞かなにかでいよいよ駅舎が取り壊されるというので、見に行ったのだとかすかな記憶があります。(考えてみると予備校生だったのにねえ・・・?)

 その時、不思議だったのは、ずいぶんとふるいスタンプが、ごく普通にスタンプコーナーにごろごろ転がっていたことでした。今回は、新春企画(?)それらをアップしたいと思います。

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もっとも古いものだと考えられるのが、これ。

1961年(昭和36年)の大阪環状線開通記念のもの。城東線と西成線が繋がり環状運転が始まったのです。

同じ頃のものだと思われるのが、次のもの。

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  大阪のシンボル大阪城と、船、そして工場の煙突から立ち上る煙が描かれています。公害などがまだ大きな問題として取り上げられる前のものだと思われます。

 スタンプという限られたスペースで、なおかつ単純な意匠にするのですから、逆に時代性が感じられます。

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 さて、左のスタンプは、1939年(昭和14年)に捺されたものです。もちろん私が捺したわけではなく古書店で購入したスタンプ帳のもの。 画像ではかすかにしか見えませんが、「大阪」と旧字体です。デザインは大阪のシンボルのみおつくしに、ひょうたん、大阪城、砕ける波しぶき、そしてやはり工場です。右半分は歯車になっているようですから、やはり煙の都・工業都市大阪を象徴しています。

   

  

       

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 これは私がもっとも気に入っているもの。1980年当時でも、この特急こだま号は歴史上のものになっていましたから、このスタンプを見つけた時に興奮したのを覚えています。(興奮したのは、ちょっと別の理由もあるのですけれど、それは内緒です。)

 1964年(昭和39年)10月1日には、東海道新幹線が営業開始をしていますので、わずか5ヶ月前に使用されたものです。

  下は新幹線の開業記念乗車券。我が家に残されていたもので、右端が切り取られているので、実際に使用したものだと思います。

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 これも我が家に残されていたものの一つ。ちょうど東海道新幹線開通の日のものです。「2等」という表示が時代を感じさせます。窓口でキップを買い、改札口で鋏を入れてもらう、そういう時代だったのですね。   

    

100111025721_2 「ディスカバージャパン」(美しい日本と私)」と題した国鉄の旅行誘致キャンペーンは、大阪万博終了後の1970年10月から始まり、駅ごとにスタンプが設置されました。

 これはその大阪駅バージョン。観光名所を意識して、中ノ島から大阪城を望む図柄になっている。

   

  

  

 

   

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 1976年(昭和51年)、京都~大阪間鉄道開通100年の記念行事が行われた。これはその記念のスタンプ。

SLの記念運転も行われ、沿線には多数の人が出て、大騒ぎになった記憶がある。ただ、不幸なことに人身事故が発生し、運転は途中で中止されてしまったのだった。   

   

  

  

   

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  1977年(昭和52年)から国鉄が新たに始めたのが、「一枚のキップから」キャンペーンだった。

 この時期は、国鉄運賃の値上げなどもあり、このキャンペーンは不発に終わったらしく、わずか一年で次の「いい日旅立ち」に変更されてしまい、印象も薄い。

   

   

     

100111025800_2  1972年(昭和47年)に新快速電車が増発された時のもの。新快速電車そのものは、1970年(昭和45年)10月から始まっていたが、この年、大幅な増発と、新幹線の岡山駅までの延長開業によって余った急行電車の車両を新快速電車に使用した。 

 急行電車の車両が颯爽と走る姿はかっこよく、わざわざ乗りに行ったのを記憶している。現在よりも停車駅が少なく、特急よりも早い場合もあると話題だった。

 この頃は、まだ関西圏の快速にもグリーン車があったのです。

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 これは、おそらく急行ちくまのスタンプ。おそらく業務用のものだと思うのだけれど、なぜか、置いてあった。

 あの頃は、まだ夜行列車も、急行もたくさんあって、時刻表を見ながら、どこへ行こう、あそこへ行こうと、受験勉強の憂さを晴らしていたものだけれど・・・・

 大人になったら、すっかりそういう列車もなくなってしまって、残念。

100111025712  これもなんだか判らないのですが、一緒に置いてあって捺してきたもの。桜・・・でしょう、たぶん。

 今回は、目先の忙しさからの現実逃避もあって、大阪駅のちょっと昔のスタンプ・コレクションを公開してみました。

     

      

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 あけまして 

  おめでとうございます

 どたばたとしているうちに、あっという間に一年が過ぎ、2010年を迎えております。2000年問題と騒いでいたのが、もう10年前のことなのかと思うと、なんだか不思議な感じがするのは、やはり年を取ったせいなのでしょうか[E:despair]

 

 2010年は、まず阪神淡路大震災の15周年、そして日米安保改正五十周年の年に当たります。 いろいろな意味で節目になります。政権交代も、もはや昨年のことであり、そろそろその成果が問われる時期になります。

 年末のニュースBIZ(テレビ大阪)で、一年間を振り返って、来年はどんな年かとの質問に対して、私は、「祭りの後」と答えました。国政にしろ、地方政治にしろ、昨年はとにかくマスコミ受けする、あるいは大衆受けする発言が多くありました。政権交代の余韻もあり、景気悪化や、経済状況の悪化に対する対応が遅れてきたのに、どことなくお祭り気分だけで来た様な気がします。

 いよいよ今年は、祭りの後で、真の姿が見えてくる、見なくてはいけない時期になります。派手なパフォーマンスやブラフに誤魔化されず、本当のところはどうなのか、考えていきたいと思います。

 学生の就職状況は、非常に厳しく、将来に希望を持ち得ない環境が続いています。人口の減少や、高齢化は、今まで私たちが経験したことのない状況を引き起こしつつあります。経験したことのないことが発生している以上、従来の手法では解決しえないということは理解できるはずです。

 今年は、そうした難しい問題がさらに私たちの身近に感じられることでしょう。寅年は、波乱の年だそうです。どういった波乱を経験するのか、新年を迎えるにあたり、気を引き締めて生きたいと思います。

                                   2010年新春

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