⇒【平野屋新田会所:所有者、解体工事へ 大東市の買い取り交渉決裂 /大阪 1月17日】
平野屋新田会所は、18世紀初頭に建築されたものとされており、湿地を干拓した後にできた新田の管理をするための建物である。約6千8百平方メートルの敷地に、長屋門や建築当時の骨組みを残す母屋などからなり、文化庁も保存が可能となれば、国史跡に指定して、買取に対して補助を行うとしている物件である。東大阪市にある同様の鴻池新田会所は、すでに国史跡・重要文化財の指定ななされている。地元住民のグループが保存を訴えて活動を行い、大東市も、業者に買取交渉を行ってきたが、業者側が価格面で納得しなかった。
「いったい・・・」と思ってしまう。20年前のバブル景気の時にも多くの貴重な建築物が失われてしまったが、この十年間もそれに匹敵するほどの開発が行われているのではないだろうか。今回の件は、行政が後手後手に廻ってしまった感もぬぐえ切れない。文化庁が国史跡に指定する方向を示していたにも関わらず、こうした事態が引き起こされたしまったことは、将来の第二、第三の事例発生のためにも、反省し、制度を改正しておくことも検討すべきだ。
地域の文化や伝統の象徴という意味で、地元の人たちを中心に保存や継承が訴えられるのは当然であるが、もう少しフォーカスを引いて考えてみても、こうした歴史的価値のある建造物を保存することの意義が見出されるはずである。
いずれの国でも都市の開発あるいは再開発と、歴史的な町並みあるいは建造物との協調は大きな課題となっている。しかし、例えば観光振興ということから考えてみると、歴史的な町並みや建造物を次々破壊して、新たなものを建設していくことは、資源を失っていくことを意味しないだろうか。
もちろん、高層ビルのスカイラインや活力ある町並みも、観光客を誘致する一つではある。しかし、アジアのどこに行っても同じような町並みであることは、競争力を得ることを意味しないだろう。
大阪経済の衰退を懸念する声が多いが、その中で海外からの観光客誘致を推進せよという意見も多い。しかし、ヨーロッパやあるいはいまやアジアの諸都市のように歴史的な景観を重視して町並みを整備しようとか、歴史的な建造物を一層活用しようという意見が、なかなか主流とならないのはなぜだろうか。(地道な活動を続けておられる方々が多いことは、力強いことではあるが。)
空間の効率的な活用とか、経済波及効果とか、あるいは防災上の理由とか、そうした反論に掻き消されてしまっているのか、それとも歴史的景観などというのは京都や奈良にお任せしておけばいいという考えが強いのか。
北ヤードの開発だとか、南港の開発だとか、彩都への企業誘致とか、決して全てを反対するわけではないが、「効率性優先の新規開発だけ」が、首都圏との競争に勝ち抜く術だという考え方だけで来たことが、今までの失敗だったのではないのだろうか。
関西、あるいは大阪ならではという街の歴史、景観、文化と言ったものをきちんと考えて、評価して、残すべきものは、資金を投じてでも残していく、そういった考えをもっと大切にすることが、長期的には大阪経済の再興に繋がるのではないかと考えている。
平野屋新田会所の命運は尽きようとしている。歴史と文化がそこにある建物が、図面でしかもう見られないとしたら、大きな損失ではないか。誰か、ポンと資金を提供する豪気なお金持ちは、もう大阪にはいないのだろうか。
個人所有の場合、それぞれの財政事情から、突然、売却、解体といったことが発生することもある。そうした事態に備えることを、行政も我々も考えていく必要があることを、今回の悲惨な事例は示したと言える。
金持ちがいないのなら、いっそみんなで大騒ぎして、資金を集めようではないか。以前、大阪の建築関係者が、「東京で解体されるとなると大騒ぎされて、保存が決まったり、移築が準備されるような物件が、大阪では、専門家の間だけで噂になって、次々消えてしまった。なぜだろうか、残念だ・・・」と嘆いていたことがあった。
今回のことももっと広く全国に発信していく必要があるのかもしれない。平野屋新田会所だけではなく、大阪で、これからも同じようなことが繰り返されるような懸念がしてならない。結果として、私たちは貴重な将来の観光資源を失っていくのだ。そこで、「観光振興」などを主張しても、なにやらむなしい気がしてならないのだが。
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