うまく名前をつけるものだと膝を叩くことがあるが、これもそうだ。
「Lower-Middle 市場」
つまり、Lower-Middle Classという層が、これからの日本でのマーケティングに重要であると言う論旨で用いられるのである。
このLower-Middle Classとは、要するに「中流層の下半分」と約せばいいだろうか。今まで日本人の大半が所属してきたと信じてきた「中流層」が二極分化しつつあり、一方の大きな流れがLower-Middle Classだとされている。
様々な論者の説を統合すると、今までの日本の平均的なサラリーマンの目標は、40歳代後半から50歳代で年収一千万円台であった。一千万円台に達すれば、まあUPPER-Middle Class から、人によっては中流を脱したと感じたのだろう。
確かに1980年代から1990年代の後半には、年収一千万円というのが多くのサラリーマンにとって、「将来、うまくしたら・・」と思えるラインだったことは、私の実体験からしても理解できる。
では、中流層というのは、どの程度、収入があればそう感じるのかというと、人によっては差があるにしろだいたい年収400万から500万円程度らしい。
さて、Lower-Middle Classというのは、正にこの400万円から500万円クラスを指すらしい。年収300万円で楽しく云々という本が話題を読んだが、300万円台は明らかにMiddle Classを滑り落ちた層を指すようだ。
では、Lower-Middle Classは、どんなイメージかと言えば、まずバブル期に社会に出た層で、現在30歳代後半から40歳代半ばで、年収400万から500万円程度で給与上昇の天井にぶつかっているというもの。また、30歳代の未婚の女性(あるいは男性)も多くも、想定されている。
年収400万円から500万円というと、仮に共稼ぎであれば、夫婦での年収は一千万円を超し、子供がいなければ余裕ある生活をすごせるはずである。
ここで問題になるのは、仮にこうした年収で、今後、給与上昇が期待できないとすれば、結婚して育児のために、どちらかが退職する決断ができるかどうかということである。むしろ、そのままの状態で、多少なりとも余裕のある生活を楽しんで行きたいと考えたとしても、非難はできないだろう。
この問題を追及していくと、大都市圏での少子化問題に行ってしまうので、少し軌道修正する。
このLower-Middle Classそのものの善悪だとか、その原因は置いておいて、こうした層が増加していることは事実らしい。
つまり、幼少期には高度成長期を経験し、さらに青春時代にはバブル景気を経験した層であり、消費には貪欲である。年収300万円層よりは、多少の余裕はある。こうした層をどのように市場として見るかというのが、どうも最近の企業活動の関心の中心になっているようだ。
飲食関係で、個人的に興味を持ってきた二社がある。一つは、サンマルク、もう一つは、梅の花である。
この二つの企業が展開するレストランは、いずれも雰囲気は非常によく、価格はリーズナブルである。興味深いのは、両者とも昼間の主婦の利用が多いと言う点である。「少し雰囲気がよく、でも値段はファミレスの少し上くらいで」という層をうまく取り込んでいる。
この二社の方針は、Lower-Middle Classのマーケティングに大きなヒントを与えてくれているのではないだろうか。サンマルクの売りは、焼きたてのパンやピアノの生演奏である。しかし、それらは徹底した合理化と、アルバイトなどの大胆な起用で、低コストを可能とし、価格も安価に抑えられている。梅の花も同様である。
したがって、残念ながら、高級店とは全く同じではない。しばらく観察すれば、サービスや料理などは「それなり」ということに気が付くだろう。ただ、ファーストフードのサービスレベルが向上し、「少し値段が高くても、あまり価値を感じない」という現在の状況の中で、「それなり」をここまで引き上げたことは賞賛に値するだろう。(本筋とは違うが、サンマルクは岡山市。梅の花は久留米市が本社であるというのも興味深い。必ずしも、首都圏や大都市圏でなければ、こうしたマーケティングができないという訳ではないのだ。)
所得階層が、単純に二極分化するのではなく、中の下のような層が発生するとしたら、真の高級志向ではなく、若干、価格が高くとも、「それなり」のサービスや品質を要求するそうした市場が、「Lower-Middle 市場」だと考えられるのだろう。
考えてみれば、スターバックスを筆頭とするコーヒーショップも、価格は少し高いが、洗練された雰囲気を提供するところに狙いを定めている。また、少しおしゃれだけれど、価格はそう高くないという雑貨店や、通信販売などが増えているのも、この「Lower-Middle 市場」の拡大を背景にしているのかもしれない。